病気と闘う母の事 ③脳出血は感情のコントロールが難しい。
一年前に脳出血を起こし、やっと発症する前の日常生活に戻れた母だったが、
数日前一人で家にいた時、呂律が回っていないことに自ら気づいた母が父に電話をし、病院に向かったところ、出血まではいかないが、脳から血が染み出していることが判明し、再び入院することになった。
一回目の出血の症状とは違い、半身麻痺や意識が朦朧とすることはないよう。(入院した直後本人からLINEが来たので言語障害的なものは今のところない)
だが、口と喉の麻痺がひどく、呂律が回っていない状態。
病院にいるので万一のことがあってもすぐに対応ができる状態なのでひとまず安心だが、何が起こるかわからない病気であるので心配な気持ちもある。。。
~感情のコントロールについて~
今日は「脳出血と感情の関係性」について記録していきたいと思う。
脳出血は、文字通り「脳の病気」であるから、その脳がコントロールする「感情」にも影響を大きく与えることがある。
簡単に言うと、「喜怒哀楽」が激しい。
このうち、母は母は特に「喜び」や「悲しみ」の感情に左右されることが多い。
元々母は、人前で泣くような人ではない。(泣ける映画を何度も一緒に観たことがあるが泣いてる姿は一回も見ていないし、私情で大変なことがあっても、こういう事があった。と淡々と語っているような人だった。)
そんな母が脳出血を発症してからは事あるごとに、涙を見せるようになった。
面会の時は、毎回来た時(喜びの涙)と帰る時(悲しみの涙)を見せるようになり、
退院してからも自宅で話すときは、「助けてくれてありがとう」と一日3回は涙を流していた。(それにつられて私も泣くのもしばしば・・・笑)
と思えば、「なんで私ばかりこんなに病気になるんだろう・・・」と、自分を責めることもある。元々人に尽くすことが好きな性格であるから、人に迷惑を掛かることがなにより嫌なのだろう。。。
そんな時、私はいつも励まそうとするのだが、なんと声をかければよいのかわからなくなる。
母は今回の入院もだが、20歳の時、ネフローゼ症候群を発症してから再発を何度も繰り返してきた。 ありがたいことに、私はそのような大病にかかることは今までなかったし、入院するような手術を受けたこともなかった。
経験がないので辛さを聞くことはできても(実感することはできないので)共感することができない。そんな人の同情なんて、なんの力にもならないと思う。
そんなことをずっと考えていたのが、この前、母の友人が母に素晴らしい言葉をかけてくれた。
(続く)
病気と闘う母の事 ①持病のネフローゼ症候群と脳出血発症について
ブログを始めて、自分は日々あった出来事を第三者に話すほど、言語化できていないんだと痛感する日々。
毎日思うことはあるけど、いざ書こうとすると何を書いていいのか悩む。
始める前は、毎日何かしら思っていることはあるし、簡単にかけるだろうと思っていたけど、、、『言うは易く行うは難し』とはまさにこのことだ。
そんな中、この話はあまり周りに話すことではないと思って、私生活で友達や職場の人に全く話したことがない内容を、あえてブログに収めてみようと思った。
それは、「病気」と戦う母のことである。
母は20歳の頃から、「ネフローゼ症候群」と呼ばれる難病を患っている。
「ネフローゼ症候群」とは、腎臓の病気で尿と一緒に体に必要な蛋白質が多量に出てしまい、その結果全身にむくみを生じてしまう病気である。放っておくと肺や心臓までも水が溜まってしまい、死に至ることもある。
↓↓ 詳しくはこちらのサイトまで ↓↓
ネフローゼ症候群と死亡率について (nephrotic-syndrome.net)
私が生まれる前までは、入院を繰り返し、何度か生死をさまようほど重症化したことがある。(本人は三途の川を見た、と本人は言っている。。。)
再発と完治を繰り返し、現在はネフローゼ症候群は落ち着いているのだが、
ちょうど一年前、私がちょうど仕事休みで遅くまで寝ており、起きるとリビングで倒れていた母を発見。
かけつけた病院で「脳出血」を発症したことが分かった。術後の先生の話で、
発見があと何分か遅れていたら亡くなっていたかもしれない。と聞かされた。
私が発見したのは、おそらく母が倒れてから5分~10分の間らしく、寝ていた私を起こしてくれたのは、宅配便が鳴らしたインターホンの音だった。
しかも私の仕事はシフト制で、たまたまその日休みを頂いていたので、もし出勤だったら、、、もしあのまま寝ていたら、、、と思うと、シフトを組んでくれた店長と、宅配のお兄さんに感謝してもしきれない。
その後の「脳出血発症後の症状とリハビリ」については次のブログ記事へ
↓↓
病気と戦う母の事 ②脳出血後遺症とリハビリ - ikurashake’s blog (hatenadiary.com)
病気と闘う母の事 ②脳出血後遺症とリハビリ
脳出血は出血した場所にもよるが、後遺症が残ることがほとんどで、
私の母は右脳の被殻と呼ばれる部分の損傷だったので、
左半身麻痺と軽度の言語障害(口の筋肉麻痺で喋りづらいなど)が残った。
↓↓ 脳出血 出血部位別症状は こちら ↓↓
脳出血の好発部位とその症状は?どんな後遺症が残る? | 脳卒中に関する悩みを解決するブログ (a-stroke-of-luck.com)
始めはベッドの上で上体を起こすことも一人でできないほど、体の筋肉が落ち、
入院して2,3日は、脳の損傷の影響が大きく、普段の母からは想像もしないような暴言が出てきたり、ワガママを看護師さんに言ったりと見たことのない母の姿に驚き、その時はこんな事がこの先ずっと続いてしまうのかと思い、ひどく落ち込んだのを覚えている。
しかし、母は症状が悪化する前に発見されたことと、比較的年齢が若いことから、
症状が悪化することはなく、リハビリを通して徐々に発症前の生活に戻りつつある。
ベッドの上で上体を起こせず、歩くことも一人でトイレに行くこともできなかった母が、今では夕方の散歩ができ、大好きだった料理も、時間はかかっても野菜を切ったり、鍋に入った具材を混ぜたりすることができる。
洗濯や掃除も父が仕事の間一人でこなしている。
作業療法士の方曰く、リハビリから約5カ月で、ここまで回復できる人は、
同じ年頃の方でもなかなかいないし、回復のペースは驚異的なスピードらしい。
母の頑張りと、母のリハビリに携わっていただいた作業療法士さんのおかげで、
今日も母は元気に過ごしています。
(LINEのやりとりは発症から約1カ月。リハビリ病院に転移してから約1週間後のこと)
ブログの方向性
昨日ブログを立ち上げたもの、どのような方向性で行くか悩んでいる。笑
完全に自分のためを思って、真面目系なブログを書くか、
見ている人のためを思って、面白い笑えるブログを書くか。
ブログを書こうとする人ってある程度、書きたいテーマが決まっていて、
書き始める人が多いと思うけど、ブログのテーマって決めたほうがいいのかな。。。
って、考えてる今は完全に真面目系ブログですね。。。笑
まあ、その日の気分に合わせて決めるとしよう。
おやすみなさい(^o^)ノ
幸せ人間(初投稿)
はじめまして。
24歳女性販売員2年目の「ikurasshake」です。
この度なぜブログを開設したか。。。
ズバリ「「日々の達成感を満たしたいから」」。
社会人2年目、3年に差し掛かるこの年、、仕事にも私生活にも慣れてきた。
余裕が生まれてきた近頃、こう思った。
「「自分は生きているうちに何がしたいだろう」」と。
仕事から帰り、youtubeを観ながらご飯を食べ、お風呂に浸かりながらTwitterをスワイプする。布団に入ってからも、お気に入りのマンガを読み漁り、好きなASMRボイスを聴きながらワイヤレスイヤホンを付けたまま寝落ちる毎日。(朝両耳つけっぱで耳が痛いし、たまに行方不明になる)
そんな、なんて事のない幸せな日常を送っている。そう私は今幸せなのだ。
職場もありがたいことに不満は全くないと言っていいほど、環境の良い職場であるし、
困ったときすぐ相談できる友達や彼氏もいる。
生活する上でも特に困ることはない。
(強いて言うなら現在「実家で一人暮らし」という謎のスタイルで生活しているせいで、隣のおばあちゃんに心配され、電話やインターホンを鳴らして生存確認を定期的にされることくらい。おばあちゃんいつもありがとう元気に生きてます。)
でも何かが足りない。。
こんなこと言ったら、上記に該当しないことがある人は「ふざけんな。そんだけ幸せな生活なら今置かれてる環境に文句いうな」って言葉が飛んできそうなんだけど、、、
先に謝っときます。ごめんなさい(__)
でもこういう人って、もしかしたら世の中の同世代の方、多いんじゃないかな。。。?
今の生活環境に不満はない。だけど何か足りない気がする。
そんな、足りない何かを埋める、いわば「達成感を満たす」ための自己満でしかないブログ。これから少しずつ更新していこうと思います。
まずは三日坊主にならないように。また明日(^_^)/~